11.29.09:42
[PR]
03.15.00:03
道
今日の帰り道、もう暗い地元の細い裏道
スーパーの買い物袋をぶら下げ
『あ~今日も疲れたなあ』
なんて思いながら
なんとなく
スッキリしない気分で歩いてました。
その時にふと思ったこと
東京の道って、アスファルトばっかり。
こんな細い裏道でさえ
道だけは綺麗に整備されて
アスファルトばかりがただひたすら敷き詰められていて
きっと人が生きて行く上での便利さ故、
戦後の高度経済成長に伴い、
敷かれ始めたはずだと思うけど
いつの頃からこの道は
アスファルトで埋め尽くされて
そしてこの埋め尽くされた道は
いったいどこまで続いていて
どこまで歩いたら本来の姿である道
つまり、土や砂利道にたどり着くんだろう…?
な~んて思っちゃった。
土の上や砂利道を、私はどのくらい歩いていないだろう?
砂の上は海で歩いたりするけれど。。
ここのところは、もっぱらアスファルトの上ばかり
ただひたすら歩いて来てるって思う。
なんかそれは当たり前で、そんな造られた道だけを
日常歩いている自分が少し恐い気もする。
横浜に居た頃は
すぐそばが畑や山だったので
毎日、土の上を歩きながら
『こんなに虫ばっかりいる住みにくい土地、
一刻も早く出て行くんだ!』
なんて思ったりもしたもんなんだけどね、、
アハハッ
だからちょっと矛盾してるんだけど、
虫はまあ少なくていいから
東京でも、少しは土や砂利道に
普通に出会えないのかな?
って思ってしまいました。
『土の上を歩く』 か…
なんか、想像しただけでも安心する。
癒されてしまいそうだ。
土の感触が歩きづらいながらも
今なら心地よいと思えそう。
もしかして東京で生きて行くって
こういうことかな。
埃も雨の水溜りすらもなかなか吸収しない
造られて冷えたアスファルトの道の上を歩く
それは
人の弱くなったり疲れた心、たった一つのぼやきすら
誰も何も受け止めてくれない
冷たい街と人々の中で生きる
なんかそんなことに
似てるなあ~
と、思う。
道一つとってもそんな寂しくも世知辛い都会の姿を
象っている気がする。
一番解りやすいのはラッシュ時間の電車だね。
つくづく思う。
せかせかしてて。
都会での生活に日々、時間やお金に追われ
仕事なのか、家庭なのかはおいといて
どこかで疲れを溜め込んだ人々は
その疲れを癒す
そういう場所になかなか日常出会えなくて
毎日の満員の電車の中
ヤキモキ…
ヤキモキ…
知らない人とぶつかったり押し合ったり、睨み合ったり
そんなことでせめてもの
憂さ晴らしをしているような…。
自分もそんな時がないとは言えないだろうなあ。
誰かに押されたりぶつかる度に思う。
きっとこの人は
ぶつかってもぶつかっても
それを振り払って生きていて
それが当たり前になるほど
長いことそんな自分を作って来てるんだ!
そんな強さと孤独を多くの人が持って
都会では生きてるんだ。
少々疲れても、私も負けないぞ!
ってね。
ただ、私はなるべくストレスは感じないように生きたいし、
また、いつも意識してストレスを感じないように
ほんの少しの楽しみや癒しを持っている。
私にとっての幸福論を求めて。
こんな世知辛い街
それでも此所で今はまだ生きていたい。
此所がまだ好きなんだ。
土道はあんまりないけれど、
時々は遠くの海なんかまで出向いて
深呼吸して
えもいわれぬその自然に
癒しとパワーを貰いながら
キラキラしてて賑やかで憧れる街
頑張って働けばそこそこなお給料いただけて
可愛い洋服屋さんや、カフェの並ぶ
この都会との行ったり来たりで
上手に自分を保ちたい。
せめてできるだけ健やかに
できるだけ健やかに
なかなか大自然に身を置くことは出来ないけれど、
土を求める代わりに
音楽を奏でることや
本を読むことで
そこにあってない世界へ飛び込める!
だから、今、本当に幸せなことだなって
改めて思う。
いろんなことに感謝、忘れちゃいけない。
都会の波に馴染みつつ
その波に飲み込まれないために。
スーパーの買い物袋をぶら下げ
『あ~今日も疲れたなあ』
なんて思いながら
なんとなく
スッキリしない気分で歩いてました。
その時にふと思ったこと
東京の道って、アスファルトばっかり。
こんな細い裏道でさえ
道だけは綺麗に整備されて
アスファルトばかりがただひたすら敷き詰められていて
きっと人が生きて行く上での便利さ故、
戦後の高度経済成長に伴い、
敷かれ始めたはずだと思うけど
いつの頃からこの道は
アスファルトで埋め尽くされて
そしてこの埋め尽くされた道は
いったいどこまで続いていて
どこまで歩いたら本来の姿である道
つまり、土や砂利道にたどり着くんだろう…?
な~んて思っちゃった。
土の上や砂利道を、私はどのくらい歩いていないだろう?
砂の上は海で歩いたりするけれど。。
ここのところは、もっぱらアスファルトの上ばかり
ただひたすら歩いて来てるって思う。
なんかそれは当たり前で、そんな造られた道だけを
日常歩いている自分が少し恐い気もする。
横浜に居た頃は
すぐそばが畑や山だったので
毎日、土の上を歩きながら
『こんなに虫ばっかりいる住みにくい土地、
一刻も早く出て行くんだ!』
なんて思ったりもしたもんなんだけどね、、
アハハッ
だからちょっと矛盾してるんだけど、
虫はまあ少なくていいから
東京でも、少しは土や砂利道に
普通に出会えないのかな?
って思ってしまいました。
『土の上を歩く』 か…
なんか、想像しただけでも安心する。
癒されてしまいそうだ。
土の感触が歩きづらいながらも
今なら心地よいと思えそう。
もしかして東京で生きて行くって
こういうことかな。
埃も雨の水溜りすらもなかなか吸収しない
造られて冷えたアスファルトの道の上を歩く
それは
人の弱くなったり疲れた心、たった一つのぼやきすら
誰も何も受け止めてくれない
冷たい街と人々の中で生きる
なんかそんなことに
似てるなあ~
と、思う。
道一つとってもそんな寂しくも世知辛い都会の姿を
象っている気がする。
一番解りやすいのはラッシュ時間の電車だね。
つくづく思う。
せかせかしてて。
都会での生活に日々、時間やお金に追われ
仕事なのか、家庭なのかはおいといて
どこかで疲れを溜め込んだ人々は
その疲れを癒す
そういう場所になかなか日常出会えなくて
毎日の満員の電車の中
ヤキモキ…
ヤキモキ…
知らない人とぶつかったり押し合ったり、睨み合ったり
そんなことでせめてもの
憂さ晴らしをしているような…。
自分もそんな時がないとは言えないだろうなあ。
誰かに押されたりぶつかる度に思う。
きっとこの人は
ぶつかってもぶつかっても
それを振り払って生きていて
それが当たり前になるほど
長いことそんな自分を作って来てるんだ!
そんな強さと孤独を多くの人が持って
都会では生きてるんだ。
少々疲れても、私も負けないぞ!
ってね。
ただ、私はなるべくストレスは感じないように生きたいし、
また、いつも意識してストレスを感じないように
ほんの少しの楽しみや癒しを持っている。
私にとっての幸福論を求めて。
こんな世知辛い街
それでも此所で今はまだ生きていたい。
此所がまだ好きなんだ。
土道はあんまりないけれど、
時々は遠くの海なんかまで出向いて
深呼吸して
えもいわれぬその自然に
癒しとパワーを貰いながら
キラキラしてて賑やかで憧れる街
頑張って働けばそこそこなお給料いただけて
可愛い洋服屋さんや、カフェの並ぶ
この都会との行ったり来たりで
上手に自分を保ちたい。
せめてできるだけ健やかに
できるだけ健やかに
なかなか大自然に身を置くことは出来ないけれど、
土を求める代わりに
音楽を奏でることや
本を読むことで
そこにあってない世界へ飛び込める!
だから、今、本当に幸せなことだなって
改めて思う。
いろんなことに感謝、忘れちゃいけない。
都会の波に馴染みつつ
その波に飲み込まれないために。
PR
その感謝とかリスペクトなんかの気持ちをそうはいってもみんな忘れちまうんだよな。
グラミーなんかみてるとよく外人は表彰式でリスペクトしてるひとのことだとか、感謝の気持ちを神にとかいうけどね。
ちっちゃいこと、日常のことは、なかなかみんなとんじゃうんすよね。
で、のまれてく・・・・。
本当に歌えることが、生きてることが幸せ、感謝できると思えるんならがんばるしかないんだよな。go for it!
人は忘れる生き物だからね。
だからたまにはこうやってその気持ちを意識的に思い出さなくちゃ。
忘れるから、辛い経験や苦い経験でまた思い出させられたりもするし。
この日記書いた自分も、また読んでくれた方々も
きっと、何か感じて改めたり、前向きになったり
そんな風になれたらいいな。
- トラックバックURLはこちら