04.25.13:42
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06.03.15:29
1週間で出会いと別れ
先日ブログに書こうか、書かまいか迷って、結局書かなかったんだけど
つい最近、ショッキングな出来事と同時に一つ感じた事があったので
ちょっと長い文面ですが、blog、綴ってみようと思います
先週くらいから運動のためにも、通勤は隣の駅を使っている事を先日のblogで綴りましたが、初めて隣駅から歩いて帰った日にある動物病院の前を通りかかり、そこに生後3ヶ月の真っ白い女の子の子猫がケージに入っていて、そこには「里親募集」という張り紙が掲げられていたんです
私、一目見て欲しくなってしまいました
家には、手乗りの鳥もいるし、それ以前にアパートでは飼えないのに、どうしてもその子を家に連れて帰りたいって思ってしまったんですよね~
毎回、そこを通る時に遊びに寄って帰る、そんな日々が続くうちに、だんだん情が移り始めてました・・・
料理をしていても、仕事をしていてもお風呂に入っていても何をしていても、ふと気づけばその子猫と、家にいる鳥をどうしたら一緒に飼えるかな?
なんて、考えてしまっていたり
家に帰った時に、その子がいつも待っていてくれたとしたら、どんなに嬉しくて幸せかな?
なんて、考えてしまっていたり・・・
つい、先週の土曜日の昼間も、近所のペットショップへ行き、猫のトイレやご飯っていくらくらいするんだろうと、下調べをしてしまっていたり・・・
とにかく、四六時中頭の中はその子猫のことばかり、
考えてはニコニコしていただろうし、遊びに行けば癒されていたんですね
で、昨日もまたそこを通ったので、いるかな~?って思った見たら、ケージの中がいつもと違うではないですか!
ケージの前には、
「この子も新しい幸せな家族になりました。
今まで遊んで下さった方々ありがとうございます。」
と書かれた張り紙がされていて、その子と、既に先に他の家族へ引き取られたその子の兄弟が一緒に写っている写真が貼ってあったんです
また、その写真もなんだか笑顔で笑っているかのような表情の写真なんですよ
もう、一瞬何が起こったか解らなくなりました・・・
家では飼えないことも、家で飼ってもその子が本当に幸せになれるか解らないことも
いつかは、こんな日が来るであろうことも、他の家族に引き取られればきっとこの子も幸せになれることも
全部全部解っていたつもりでした
全部全部頭の中では理解していたつもりでした
でも、まだ、後一ヶ月くらいはここにいるんじゃないかな?
と、勝手に思っていたりして、一ヶ月くらいしたら、もしかしたら家で飼えないかな?
なんて、、、
はい、状況は変わらないのに、そんなことを勝手に考えていました
だから、後一ヶ月くらいはこの動物病院に来れば、いつもこの可愛い子猫と会えると思っていて、それを毎回楽しみにしていました
だからこそ、突然そんな張り紙を見た時、急に何が起こったのか解らなくなったし
寂しくて心がぽっかり穴があいたようになりました
空虚でした
本当に空虚で仕方ありませんでした
その張り紙を見て、1分くらいぼーっとしたあと、急に涙がぽたぽた垂れて来て
悲しくなって、まるで、自分の娘が何処か知らないところに嫁いでしまったような
そんな親の気持ちが一瞬解った気持ちにもなりました
きっと、私の中で、私が感じている以上に、その子が私の癒しになっていたんだと思いました
でも、そんな私の悲しみは、単なるエゴでしかなくて
その子にとってはこれで幸せなんだから喜んであげるべきなのに、、
ほんっと単なるエゴ
勝手にいつもいると思い込んでいて、癒しを求めていて
喜ばしい気持ちももちろんあるんだけど
なかなかそう簡単には笑顔になれず、今日もいるだろう、と勝手に思い込んでいて
居なくなっていたから悲しい
こんなのはほんと単なるエゴなんですよね
って、このblog読んでる皆さんは、とっくに前半を読んでそう思ったでしょうけれど、、、
人間って自分勝手であり、そしてどこまでも悲しい生き物だと思いました
いつまでも変わらないものを追い求め
変わって行く現実を避けたくなります
私の今回のこの気持ちもそうです
いつもこの子猫がここにいると想っていた
いつかは何処かに行ってしまうことも可能性として考えていたはずなのに、いつまでもここにいて欲しいって気持ちが強過ぎたし
変わらないでいて欲しいって気持ちが強過ぎて
いざ、新しい家族に引き取られたら
自分の前からいなくなってしまった
知らない世界へ行ってしまった
って
なんだか悲しくなってしまう
無常なんてものはこの世には、、
存在しない
たぶん
でも、人はきっとそれを生きている間中求めている
いつまでも変わらないものを・・・
だから、いつだってこの場所、この環境、この人達に馴染んでいたいと思うし、そこから変わる、離れる事を惜しんでしまうのではないかな、と思う
寂しいから、ずっとここに誰かにいて欲しい
変わらない愛情で見ていて欲しいといつだって強く臨むから
人は恋愛をするんじゃないかな?
でも、結局のところ、人というのは自分も相手も気持ちは変わる
人だけでなく、状況も環境も無常はなく、変わって行く
街や店も変化して行く
ここにいたはずなのに
ここにあったはずなのに
「ずっと」を願っていたのに
それが目の前から変化した時
人は悲しくなるし
寂しくなる
永遠なんてないことくらい、頭ではよく解っているのに
人は悲しい生き物だね
いつの日も
誰しもがそうだよね
愛を求めて生きようじゃないか
つい最近、ショッキングな出来事と同時に一つ感じた事があったので
ちょっと長い文面ですが、blog、綴ってみようと思います
先週くらいから運動のためにも、通勤は隣の駅を使っている事を先日のblogで綴りましたが、初めて隣駅から歩いて帰った日にある動物病院の前を通りかかり、そこに生後3ヶ月の真っ白い女の子の子猫がケージに入っていて、そこには「里親募集」という張り紙が掲げられていたんです
私、一目見て欲しくなってしまいました
家には、手乗りの鳥もいるし、それ以前にアパートでは飼えないのに、どうしてもその子を家に連れて帰りたいって思ってしまったんですよね~
毎回、そこを通る時に遊びに寄って帰る、そんな日々が続くうちに、だんだん情が移り始めてました・・・
料理をしていても、仕事をしていてもお風呂に入っていても何をしていても、ふと気づけばその子猫と、家にいる鳥をどうしたら一緒に飼えるかな?
なんて、考えてしまっていたり
家に帰った時に、その子がいつも待っていてくれたとしたら、どんなに嬉しくて幸せかな?
なんて、考えてしまっていたり・・・
つい、先週の土曜日の昼間も、近所のペットショップへ行き、猫のトイレやご飯っていくらくらいするんだろうと、下調べをしてしまっていたり・・・
とにかく、四六時中頭の中はその子猫のことばかり、
考えてはニコニコしていただろうし、遊びに行けば癒されていたんですね
で、昨日もまたそこを通ったので、いるかな~?って思った見たら、ケージの中がいつもと違うではないですか!
ケージの前には、
「この子も新しい幸せな家族になりました。
今まで遊んで下さった方々ありがとうございます。」
と書かれた張り紙がされていて、その子と、既に先に他の家族へ引き取られたその子の兄弟が一緒に写っている写真が貼ってあったんです
また、その写真もなんだか笑顔で笑っているかのような表情の写真なんですよ
もう、一瞬何が起こったか解らなくなりました・・・
家では飼えないことも、家で飼ってもその子が本当に幸せになれるか解らないことも
いつかは、こんな日が来るであろうことも、他の家族に引き取られればきっとこの子も幸せになれることも
全部全部解っていたつもりでした
全部全部頭の中では理解していたつもりでした
でも、まだ、後一ヶ月くらいはここにいるんじゃないかな?
と、勝手に思っていたりして、一ヶ月くらいしたら、もしかしたら家で飼えないかな?
なんて、、、
はい、状況は変わらないのに、そんなことを勝手に考えていました
だから、後一ヶ月くらいはこの動物病院に来れば、いつもこの可愛い子猫と会えると思っていて、それを毎回楽しみにしていました
だからこそ、突然そんな張り紙を見た時、急に何が起こったのか解らなくなったし
寂しくて心がぽっかり穴があいたようになりました
空虚でした
本当に空虚で仕方ありませんでした
その張り紙を見て、1分くらいぼーっとしたあと、急に涙がぽたぽた垂れて来て
悲しくなって、まるで、自分の娘が何処か知らないところに嫁いでしまったような
そんな親の気持ちが一瞬解った気持ちにもなりました
きっと、私の中で、私が感じている以上に、その子が私の癒しになっていたんだと思いました
でも、そんな私の悲しみは、単なるエゴでしかなくて
その子にとってはこれで幸せなんだから喜んであげるべきなのに、、
ほんっと単なるエゴ
勝手にいつもいると思い込んでいて、癒しを求めていて
喜ばしい気持ちももちろんあるんだけど
なかなかそう簡単には笑顔になれず、今日もいるだろう、と勝手に思い込んでいて
居なくなっていたから悲しい
こんなのはほんと単なるエゴなんですよね
って、このblog読んでる皆さんは、とっくに前半を読んでそう思ったでしょうけれど、、、
人間って自分勝手であり、そしてどこまでも悲しい生き物だと思いました
いつまでも変わらないものを追い求め
変わって行く現実を避けたくなります
私の今回のこの気持ちもそうです
いつもこの子猫がここにいると想っていた
いつかは何処かに行ってしまうことも可能性として考えていたはずなのに、いつまでもここにいて欲しいって気持ちが強過ぎたし
変わらないでいて欲しいって気持ちが強過ぎて
いざ、新しい家族に引き取られたら
自分の前からいなくなってしまった
知らない世界へ行ってしまった
って
なんだか悲しくなってしまう
無常なんてものはこの世には、、
存在しない
たぶん
でも、人はきっとそれを生きている間中求めている
いつまでも変わらないものを・・・
だから、いつだってこの場所、この環境、この人達に馴染んでいたいと思うし、そこから変わる、離れる事を惜しんでしまうのではないかな、と思う
寂しいから、ずっとここに誰かにいて欲しい
変わらない愛情で見ていて欲しいといつだって強く臨むから
人は恋愛をするんじゃないかな?
でも、結局のところ、人というのは自分も相手も気持ちは変わる
人だけでなく、状況も環境も無常はなく、変わって行く
街や店も変化して行く
ここにいたはずなのに
ここにあったはずなのに
「ずっと」を願っていたのに
それが目の前から変化した時
人は悲しくなるし
寂しくなる
永遠なんてないことくらい、頭ではよく解っているのに
人は悲しい生き物だね
いつの日も
誰しもがそうだよね
愛を求めて生きようじゃないか
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